人生は苦なり、とはお釈迦さまのお言葉。
そのお釈迦さまの教えを親鸞会というところでは、かなり詳しく話しがなされています。
四苦八苦ということもそこで聞いた話です。
最初の、生苦(しょうく)というのは、生きていく苦しみ。
生きるということ自体、苦しいことなんですね。
あの天下人、徳川家康も「人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くがごとし」
と歎いています。
理想の人物の常に上位にあげられる徳川家康ですが、生涯、重荷という苦しみはおろせず、遠い果てしない道を歩き続けねばならなかったようです。
まして私たち、簡単に重荷はおろせないようですね。
重荷どころか、重しが頭の上にどっかりあって、身動きすらままならない状態なのかもしれません。
そんな人生だからこそ、相談することが大事ですね。
苦しいのはお互いさまなのですから、お互い声をかけあい、助け合っていきていくことが大事だと思います。
「人生は苦」なり
これはお釈迦様のお言葉だと親鸞会という親鸞聖人の教えを伝える集まりで教えてもらいました。
仏教では、四苦八苦といって、どんな人にも共通の苦しみがあるのだと教えられています。
四苦とは、
生苦
老苦
病苦
死苦
の4つです。
これに、
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五陰盛苦
を加えて八苦です。
これが四苦八苦。
今日は、老苦。
年をとると、若い人には分からない苦しみが複数でてきます。
若いときに、元気でバリバリ働いていたり、美貌を自慢としていた人ほど、そのギャップに苦しむものです。
逆にいえば、若いときの価値観がしっかりしていたら、年齢によって起きる精神的問題は大きく解決できるかもしれません。
見た目、表面的なものを追い求めるのではなく、本質的、中身で勝負していくことが大事だと思います。
お釈迦様は「人生は苦なり」と言われ、どんな人も受けていかねばならない苦しみを
四苦八苦と教えられました。
4つの苦しみと8つの苦しみということで、今日はその3番目、病苦についてです。
人間、どんなに若く健康でも、病気になったり、怪我をしたりすることがあります。
その時の苦しみを、病苦といいます。
病は一人一人といわれ、今、自分がかかっている病が一番苦しいとそれぞれが思います。
ですから、病だれの中に、甲でもない乙でもない丙の字が書かれています。
すべての病が甲乙つけがたいから、丙の字が使われているそうです。
今、若く、健康で、生きているといっても、
やがて、年老い、病気を患い、死んでいかねばなりません。
それでも生きていくのは何のため?
このことを知っているかどうかで人生の苦しみを乗り越えられるかられないかが
決まるといっても言いすぎではありません。
親鸞聖人はその生きる意味をあきらかにされた方なのです。
人生に悩みはつきません。
相談したいことは増えるばかり、かも知れませんね。
それは今も昔も変わらぬもの。
お釈迦様といえば、2600年も前の印度の方ですが、そのお釈迦様の言葉に「人生は苦なり」というものがあります。
四苦八苦という言葉ももともと仏教からきたものだしね。
親鸞会という集まりでお釈迦様が教えていかれたことを分かりやすく根拠を提示して
話しされてるね。
ちなみに四苦八苦の最初が「生苦」
生きることが苦しみ。
生きていると、人間関係やらなにやら煩わしいことが一杯ありますよね。
しかもその次に出てくるように「老苦(ろうく)」という苦しみがある。
人間は段々老いていくのだね。
そうするといろいろな苦しみもまた増えてくる。
歩くことも動くこともものうくなっていくからね。
「人生は苦」なり
これはお釈迦様のお言葉だと親鸞会という親鸞聖人の教えを伝える集まりで教えてもらいました。
仏教では、四苦八苦といって、どんな人にも共通の苦しみがあるのだと教えられています。
四苦とは、
生苦
老苦
病苦
死苦
の4つです。
これに、
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五陰盛苦
を加えて八苦です。
これが四苦八苦
最初の、生苦は、いきていく苦しみです。
生きていくことは苦しいこと。
人生は重荷を背負うて遠き道を行くがごとし
とは徳川家康の言葉。
今でもなりたい人物で上位に選ばれる天下人ですが、
そんな人物でさえ、生きていくのは苦しいと言っています。
「人生は苦」なり
これはお釈迦様のお言葉だと親鸞会という親鸞聖人の教えを伝える集まりで教えてもらいました。
本来、人生は苦しいところ、そう知ることによって新しい一歩が踏み出せるのかも知れません。
仏教では、四苦八苦といって、どんな人にも共通の苦しみがあるのだと教えられています。
四苦とは、
生苦
老苦
病苦
死苦
の4つです。
これに、
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五陰盛苦
を加えて八苦です。
これが四苦八苦
中身については、次回からお話ししましょう。